高田城
所在地:新潟県上越市本城町
2018年4月30日更新(最終訪問日 2018年4月28日) | |||
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◆概要◆ 1610年に福島城主・堀忠俊が家老同士の騒乱により改易されると、徳川家康の六男・松平忠輝が越後の主となりました。 福島城は完成して10年に満たない城でしたが、海辺に近く「波の音がうるさい」ということで、内陸部の高田に天下普請により高田城を築きました。 縄張りと工事の総監督は松平忠輝の舅・伊達政宗が行いました。 関川、青田川の両河川を外堀として利用し、石垣は築かれませんでした。 天守は無く、三階櫓を天守の代用としていました。 当初の高田藩は加賀藩を監視する重要な役目がありましたが、松平忠輝の改易や越後騒動、親藩、譜代大名の懲罰的な転封が重なり、高田藩のイメージが悪くなりました。 明治以降は陸軍の駐屯地として土塁の撤去、堀の埋立てが行われ、東半分は旧状をとどめていません。 西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は高田公園として整備されています。 陸軍の入城時に3000本を超す桜が植えられ、日本三大夜桜のひとつに数えられています。 |
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案内図 |
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西側から見た三階櫓 南側から見た三階櫓 高田公園は桜の名所です 本丸の南に架かる極楽橋 本丸中心部は学校があります 本丸南側の堀 本丸に入って右側の土塁 三階櫓を入口下から見上げた所 |
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本丸の図 |
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