柳本陣屋

所在地:奈良県天理市柳本町
2012年4月14日(訪問日:2011年8月3日)

◆概要◆


柳本は古くから興福寺の荘園があり、楊本氏が庄官を務めていました。 しかし、室町時代に十市氏が支配するようになると、前方後円墳である黒塚古墳が改変されて砦として利用されるようになりました。 これが柳本城の始まりとされます。 松永久秀の領地となるとその甥・松永金吾が城主となりましたが、1577年に織田信長に攻められ自刃しました。 その後、1580年に織田信長により大和国内の他の城と同様、廃城となりました。 1616年に織田信長の弟・有楽斎(織田長益)の領地となり、有楽斎の没後はその五男・織田尚長が同地を分地されました。 陣屋は現在の柳本小学校のある場所を中心に築かれ、黒塚古墳の一部も利用されました。 柳本藩主としての織田家は12代続き、明治時代を迎えました。 黒塚古墳は発掘調査の結果、三角縁神獣鏡が過去最多の33枚出土して有名になり、2001年に国の史跡に指定されました。 柳本城の遺構としては、黒塚古墳とその堀、石垣などが現存します。 また、表向御殿が移築されて橿原神宮の文華殿となり、陣屋西門が長谷街道の元庄屋に移築され現存します。
柳本陣屋 説明板
説明板
柳本陣屋 黒塚古墳
黒塚古墳
柳本陣屋 陣屋跡にある柳本小学校
陣屋跡にある柳本小学校
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