柳生城

所在地:奈良市柳生町
2012年5月23日(訪問日:2011年8月5日)

◆概要◆


柳生城は築城年は定かではありませんが、柳生氏の祖・播磨守永珍により築かれたと考えられています。 永珍は後醍醐天皇に呼応して1331年に六波羅探題の北条仲時と戦い、この時の功により柳生の地を拝領したとされます。 柳生氏は簀川氏を中心とする山中諸氏とともに筒井順昭と争いましたが、1544年に敗れて筒井氏の軍門に降りました。 しかし、1559年に松永久秀が大和に侵攻すると寝返り、柳生宗厳は筒井順慶との戦いで活躍しました。 松永久秀が織田信長に謀反を起こした頃からは十市氏とともに独立状態を保ち、筒井順慶にも従いませんでした。 1585年に羽柴秀長が大和に入国した際の検地で隠し田が露見し、領地没収されて近衛前久の食客となりました。 柳生宗厳は1594年に徳川家康に招かれて無刀取りの技を披露し、剣術指南役として仕えるよう請われましたが、高齢を理由に断っています。 その代わり、五男の柳生宗矩を推挙しています。 柳生宗矩は関ヶ原の戦での戦功により柳生の地を回復し、柳生城の麓に柳生陣屋を構えました。 城跡には空堀や土塁などが残っており、新陰流の正木坂道場や柳生氏の菩提寺である芳徳禅寺も元は柳生城の曲輪でした。
柳生城 曲輪
曲輪
柳生城 空堀
空堀
柳生城 芳徳寺
城跡にある芳徳寺
柳生城 石碑
石舟斎累城址の石碑
柳生城 家老屋敷
麓にある家老屋敷
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