新庄城

所在地:奈良県葛城市南藤井(屋敷山公園)
2011年12月5日(訪問日:2011年8月1日)

◆概要◆


新庄城は4世紀頃に築かれた前方後円墳を利用した城であり、古墳の埋葬部分は築城の際に破壊されています。 築城年は不明ですが、大和国葛下郡(大和高田市や葛城市周辺)を治めていた国人・布施氏が、本拠である布施城の麓に居館として築いたと考えられています。 大和国は興福寺が守護を務めていましたが、平安時代末期より興福寺内部で一乗院と大乗院が対立しました。 布施氏は筒井氏と同じ一乗院門跡であったため、行動を共にすることが多く、筒井氏が伊賀へ国替えとなると従い、布施氏の旧領には紀伊から来た桑山氏が入りました。 桑山氏は布施氏の館跡を改修して陣屋を築きましたが、1682年に桑山一尹が江戸幕府4代将軍・徳川家綱の法会の席で勅使に対し不敬な振る舞いがあったとして改易されました。 現在、城跡は屋敷山公園となっています。 遺構はありませんが古墳の形状が残っており、面影を偲ぶことができます。
新庄城 城址碑
屋敷山公園内にある城址碑
inserted by FC2 system