西方院山城

所在地:奈良市高畑町
2012年5月6日(訪問日:2011年8月5日)

◆概要◆


西方院山城は古市胤仙により1444年に築城が開始されました。 当時は摂津河上五ヶ関務代官職を巡って興福寺内で大乗院門跡経覚と成身院光宣が対立。 大乗院門跡経覚は越智氏・古市氏を、成身院光宣は筒井氏を味方につけて武力衝突を繰り返していました。 古市胤仙は戦略上の拠点として鬼薗山に城を築こうとしましたが、大乗院境内であったため難航。 その代わりにすぐ東の西方院山に築城を開始しました。 しかし、完成間際になって鬼薗山への築城が認められたため、西方院山城は未完成のまま放置されました。 その後、京での応仁の乱が収まると大和国内での争乱が激しさを増し、古市澄胤は西方院山城を整備して兵を入れました。 しかし、その3日後に筒井順尊に攻められ落城しました。 城域は瑜伽神社本殿の裏にありますが、境内から城跡に入ることはできません。 城跡へは奈良ホテルの駐車場から斜面を登って入ります。 城跡には堀切や空堀、土塁や土橋が明瞭に残っています。
西方院山城
城の北側にある池
西方院山城 土塁
土塁
西方院山城 堀
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