五條代官所

所在地:奈良県五條市新町3丁目
2011年10月25日(訪問日:2011年8月1日)

◆概要◆


五條代官所は、大和国南部の天領を統治するために江戸幕府により設置されました。 統治する地域は300ヶ村に及び、約5万石相当であったといいます。 この地で起きた出来事としては、1863年の天誅組による襲撃事件があります。 天誅組は江戸時代末期に尊王攘夷を志した武装集団で、公卿の中山忠光を主将としました。 孝明天皇の大和行幸に合わせて挙兵し、五條代官所を焼き払って天朝直轄地と称しました。 しかし、その翌日に京都で八・一八政変があり、攘夷派の公卿が失脚。 大和行幸は中止となり、天誅組は幕府からの追討を受けました。 各地を転戦しながら激しく抵抗する中で、十津川郷士960名を半ば強制的に徴兵しました。 しかし統制が取れず、高取城攻略に失敗した頃から次第に離脱者が増えていきました。 その後、朝廷からも天誅組を逆賊とする令旨が発せられ、十津川郷士が正式に離脱。 戦力を失った天誅組は解散を宣言しましたが追討の手は緩まず、大和国鷲谷口で幕府軍に補足されて殲滅しました。 これが倒幕に向けた最初の武力蜂起でした。 それから約5年後、江戸幕府は大政奉還して終わりを迎えました。 五條代官所は元の敷地の西隣に再建され、この時に建てられた長屋門が現存しています。 元々の代官所の敷地は五條市役所があり、五條代官所跡の石碑が建てられています。
五條代官所 長屋門
現存する長屋門
五條代官所 石垣
長屋門脇の石垣
五條代官所 石垣
石垣
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