秋山城
所在地:奈良県宇陀市大宇陀区春日
2019年1月2日更新(最終訪問日 2018年12月22日) | |||
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◆概要◆ 秋山城は築城年は不明ですが、宇陀三将の一人・秋山氏により南北朝時代に築かれたと考えられています。 秋山氏はもとは伊勢神宮領宇陀神戸の神主家で、神戸社が春日社の末社になると春日神人の国民として興福寺被官となりました。 しかし、南北朝時代に北朝方であった興福寺に対して秋山氏は南朝方となり、伊勢国司・北畠氏を後ろ盾として興福寺領を横領して勢力を伸ばしました。 その後、秋山氏は沢氏と激しく対立しましたが、沢氏は北畠氏の被官となって東に勢力を拡大し、秋山氏は筒井氏と組んで十市氏を攻め、西へ勢力を拡大しました。 伊勢の北畠氏滅亡後、宇陀三将は伊勢に入部した蒲生氏郷の配下となりましたが、蒲生氏郷の会津移封には従わず宇陀の地に残って筒井氏に従ったものとみられます。 しかし、豊臣秀長が大和国に入ると宇陀は豊臣秀吉の蔵入地となり、秋山氏ら旧来からの領主は追放されてしまいました。 その後城主がめまぐるしく交代しましたが、その間に豊織系の城郭に改修されたものと考えられます。 関ヶ原の戦後に城主となった福島高晴が大坂夏の陣で豊臣方に内通したとして改易され、その際に秋山城は廃城となりました。 その後、織田信雄が松山藩主となり秋山城の麓に陣屋を構えました。 現在、秋山城跡には石垣や曲輪、空堀などが残り、春日門跡の石垣や黒門などが現存しています。 |
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説明板の実測図 |
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春日門跡 大手門(西口関門・黒門) 空堀 千軒舎 千軒舎の右脇を通って この道を登ります もうすぐ舗装道の終点です 登りきると すぐに城域に入ります 横堀 虎口 石垣 虎口 石垣 上から見た虎口 本丸 本丸 腰曲輪 天守曲輪 天守曲輪 天守曲輪 下城への入口 下城に入る道 下城にある神社 |
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