高遠城
所在地:長野県伊那市高遠町東高遠
2018年6月5日更新(最終訪問日 2018年6月2日) | |||
|
|||
◆概要◆ 諏訪氏一門の高遠氏の居城でした。 1545年、武田晴信は高遠城を攻め落とし、山本勘助の縄張りにより大規模な改修を行いました。 以後は武田勝頼など武田氏一門が城主を務め、伊那地方への進出拠点としました。 1570年、武田義信が廃嫡されて武田勝頼が躑躅ヶ崎に呼び戻されると、武田信玄の弟・武田信廉が城主となりました。 武田氏が織田氏と対立するようになると、高遠城は対織田の重要な軍事拠点となりました。 1582年、織田信忠に攻められ落城し、そのまま武田氏は滅亡しました。 その後、一時木曽氏が占拠しましたが、信濃に進出してきた徳川家康の城となりました。 江戸時代になると高遠藩の藩庁が置かれ、京極氏・保科氏・鳥居氏・内藤氏と城主が交代し明治維新を迎えました。 高遠城は廃城後、城内にあった建築物は競売にかけられてことごとく撤去されました。 これを見かねた旧高遠藩士たちは、城跡に桜を植樹し、城下町にあった門を移すなど公園として整備しました。 現在ではこの地方きっての桜の名所となり、多くの花見客で賑わいます。 |
|||
説明板に載っている案内図 |
|||
|
|||
大手門跡 大手門跡 大手門(移築) 駐車場は武家屋敷・勘助曲輪跡 三ノ丸 進徳館(高遠藩の藩校) 搦手門跡 二ノ丸の堀 高遠城址公園入口 高遠閣(二ノ丸) 二ノ丸 二ノ丸東側の土塁 二ノ丸東側の堀 二ノ丸と南曲輪の間 二ノ丸と南曲輪の間の堀 南曲輪 南曲輪と法幢院曲輪の間の白兎橋 法幢院曲輪 法幢院曲輪の出入口 高遠町歴史博物館 百名城スタンプ設置場所 南曲輪と本丸の間の堀 本丸内部 太鼓櫓(本丸) 新城藤原神社(本丸) 高遠公園碑(本丸) 本丸の土塁 問屋門(内側) 問屋門(外側) 問屋門(桜の季節) |
|||