船岡城

所在地:宮城県柴田郡柴田町船岡
2010年4月27日(訪問日:2010年4月24日)

◆概要◆


1200年に芝田次郎が宮城四郎家業に攻められたと「吾妻鏡」に記されており、それ以前からあったと思われます。 四保氏、屋代氏と城主が代わり、近世に入ると伊達家家老の原田氏が城主となりました。 1671年の伊達騒動の首謀者の一人とされた原田甲斐は、伊達家家臣により惨殺されて改易となりました。 代わって柴田氏が領主となり、明治維新まで続きました。 中世は要害堅固な山城でしたが、近世に入ると城としての機能も薄れ、山頂付近の本丸、二の丸はほとんど使用されず、城下町に近い三の丸に領主の居館や政庁が移されました。 明治時代に廃城となり、多くの建物が壊されました。 現在では三の丸に残る土塁や古井戸、枡形だった詰の門の坂の形状のみが城郭の面影を残しています。 伊達騒動を題材とした「樅の木は残った」のモチーフとなった樅の木も城郭の一角に残されています。 現在は「船岡城趾公園」として整備され、山頂には船岡観音や原田甲斐の慰霊碑などがあります。 麓にある「白石川堤の一目千本桜」とともに、宮城県で唯一「日本さくら名所100選」に選ばれています。

船岡城 遠景
遠景
船岡城 三の丸
三の丸
船岡城 船岡観音
船岡観音
船岡城 曲輪
小さな曲輪が連なります
船岡城 曲輪
小さな曲輪が連なります
船岡城 眺め
本丸からの眺め
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