田丸城
所在地:三重県度会郡玉城町田丸
2018年11月26日(最終訪問日 2018年11月23日) | |||
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◆概要◆ 南北朝時代に南朝方の拠点として北畠氏により築かれました。 伊勢神宮を抑える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられましたが、最終的に伊勢国司・北畠氏の居城となりました。 織田信長の伊勢制圧後の1570年に北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城となり、大改修が加えられました。 三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わりましたが、5年後の1580年に放火による火災で天守を焼失し、織田信雄は松ヶ島城へ移りました。 以後、蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と城主はめまぐるしく交代しましたが、1619年に紀州藩の領地となり、家老・久野宗成が城主となりました。 明治時代を迎えると廃城となり、建造物はことごとく破却されて国有林となりました。 その後、玉城町出身で朝日新聞創始者である村山龍平氏に払い下げられた後、町に寄付されて公園となりました。 現在は城内に玉城町役場と玉城中学校がありますが、堀や石垣の保存状態は良く、廃城時に払い下げられた富士見門や三の丸の奥書院なども再度城内に移築されています。 |
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説明板の図(方位は移動、文字が小さいため拡大して追記) |
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大手門橋 城内に役場があります 桝形虎口 内堀 城址碑 富士見門(移築現存) 堀 石垣(野面積み) 石垣(打込ハギ) 本丸の虎口 本丸の虎口 本丸の桝形虎口 本丸内部 天守台(2010年) 天守台 北東部の堀跡 田丸神社 北側の堀 西側の堀 南西部の堀跡 南東部の堀 保育所脇にある搦手道 南側の帯曲輪 南側の虎口 南から西の帯曲輪 本丸南西部の石垣 本丸と二の丸の間の土橋 北の丸と本丸の間の堀切 本丸と北の丸の間の土橋 北の丸 北の丸南東部の石垣 北側から見た本丸の石垣 張りぼての天守(2018年) | |||