高岡城

所在地:三重県鈴鹿市高岡町
2012年6月9日(訪問日:2011年7月30日)

◆概要◆


高岡城は弘治年間(1555〜58年の間)に神戸氏の家老・山路弾正により築かれました。 鈴鹿川を天然の堀とし、城跡からは鈴鹿市街から伊勢湾まで見通すことができます。 高岡城は神戸利盛が神戸城を築き、沢城から本拠を移したことに連動して築かれたと考えられます。 この頃の神戸氏は北畠氏に仕えており、北西へ勢力を拡大しようと本家筋の関氏や六角氏と争っていました。 しかし、1559年に神戸利盛が没して神戸具盛が家督を継ぐと方針が変わり、関氏や六角氏との関係を修復しました。 1567年からは織田信長が北伊勢に侵攻して周囲の豪族達は次々に降伏しましたが、神戸氏は抵抗を続けました。 そのため高岡城も織田軍に包囲されましたが、城主・山路弾正はよく防いで落城しませんでした。 翌年再び織田軍が攻め寄せ、この時も落城しませんでした。 この戦いは主家の神戸氏が織田信長の3男・信孝を養子に迎えることで和睦しました。 しかし、神戸具盛と養子の信孝は仲が悪く、このことが露見したために織田信長により神戸具盛が隠居させられました。 これに憤った山路弾正は、平野城主の伊東茂右衛門とともに神戸城を奪還しようと挙兵しましたが、事前に計画が漏れ神戸信孝により粛清されました。 その後の高岡城は神戸信孝の異父兄・小島兵部が城主となりました。 現在、城跡は公園として整備されており、土塁等が残っています。
高岡城
遠景
高岡城
城跡の公園入口
高岡城
城址碑
高岡城
土塁
高岡城
鈴鹿川越しの展望
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