青蓮寺城

所在地:三重県名張市青蓮寺
2013年1月6日(訪問日:2011年8月3日)

◆概要◆


青蓮寺城は室町時代に青木民部尉信定により築かれたとされます。 現在、城跡には「多宝山地蔵院青蓮寺」がありますが、当時の「青蓮寺」は別の場所にありました。 その寺院は弘法大師により創建され、青い蓮の花が咲いたことがその名の由来となっており、11世紀には地名として定着していたようです。 青蓮寺城は比高30m程の独立丘陵上に築かれ、伊賀で典型的な単郭式の城郭でした。 西北東の三方向を深さ5メートル程の空堀と高さ3メートル程の立派な土塁に囲まれていますが、往時は南側にも空堀と土塁があったと考えられています。 城主の青木民部尉信定は、松阪の大商人「紙屋長兵衛」であったという説もあります。 1579年に織田信雄が独断で行った第一次天正伊賀の乱では、伊賀攻略の拠点にしようとした丸山城が伊賀衆の奇襲により焼失。 再建しようとした所で材木の値段を釣り上げて伊賀攻略を失敗させたと伝わります。 しかし、その2年後には織田信長による第二次天正伊賀の乱があり、伊賀は壊滅的な打撃を受けました。 この時に青蓮寺、青蓮寺城ともに焼失しました。 城主の青木信定をはじめとする生き残った伊賀衆は、評定衆筆頭である滝野十郎吉政の居城・柏原城に籠って最後の抵抗をしました。 織田信長はここで殲滅はせずに和議を結び、伊賀国は信長の支配地となりました。 城跡には1601年に地蔵院青蓮寺が再建され、現在も蓮の名所として有名です。
青蓮寺城
登城口
青蓮寺城
空堀
青蓮寺城
土塁
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