正法寺山荘
所在地:三重県亀山市関町鷲山
2012年6月5日(訪問日:2011年7月30日) | |
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◆概要◆ 正法寺山荘は戦国時代に亀山城主・関盛貞により築かれました。 羽黒山を背景に三方を小野川に囲まれており、正法寺山荘が築かれる前は城でした。 関氏は伊勢平氏の末裔で、鎌倉時代に関実忠が伊勢国鈴鹿郡関谷を領有し、関姓を称したのが始まりとされます。 亀山城を本拠として神戸城、国府城、峯城、鹿伏兎城を一族で支配し関五家と呼ばれ、北伊勢随一の勢力を誇りました。 正法寺山荘は居館を兼ねた寺院であり、連歌師・宗長や栄世などが招かれて歌会や茶会などが催されました。 関氏は織田信長が伊勢に侵攻すると降伏し、蒲生氏郷の配下となりました。 そのため、蒲生氏郷が会津へ移るとそれに従って白河城へ移りました。 正方寺山荘にあった5つの寺も次々と廃寺となりましたが、瑞光寺だけは移転・再興されて関氏の菩提寺となっています。 跡地は土塁や堀、排水溝や石積みなどが良好に残っています。 また、桜が200本ほど植えられており、花見の名所となっています。 |
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虎口 堀 曲輪 中央土壇と排水溝 説明板 |
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説明板に載っている見取り図 |
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