松ヶ島城

所在地:三重県松阪市松ヶ島町城之腰
2011年10月9日(訪問日:2011年7月30日)

◆概要◆


松ヶ島城はもともとは北畠具教が織田信長の侵攻に備えて築いた細首城が始まりでした。 当時は海岸線がすぐ近くにあり、参宮古道も近くを通るなど交通の要衝でした。 織田信長が伊勢を支配下に収めると、織田信雄が北畠氏の養嗣子となり伊勢に入りました。 はじめは田丸城を築いて本拠としていましたが、火災で焼失したのを機に細首城を5層の天守を持つ近世城郭として大改修し、松ヶ島城と改名しました。 1582年に本能寺の変で織田信長が討たれると羽柴秀吉と織田信雄の間で対立が生じ、小牧・長久手の戦いへと発展しました。 その際に伊勢に羽柴軍が攻め寄せ、松ヶ島城は落城しました。 戦後は羽柴秀吉の家臣・蒲生賦秀が松ヶ島城の城主となり、蒲生賦秀は「氏郷」と改名。 松ヶ島城は海に近く手狭で統治に向かないことから、新たに四五百森に松阪城を築きました。 松阪城が完成すると城下町を移転させ、松ヶ島城は廃城となりました。 現在、遺構らしいものといえば水田の真ん中に高さ5メートル程の土盛りがあるだけです。 この土盛りは「天守山」と呼ばれており、金箔を押した瓦が出土していることから天守台の跡と考えられています。
松ヶ島城
天守台とみられる土盛と城址碑
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