木造城

所在地:三重県津市久居木造町
2011年9月6日(訪問日:2011年7月30日)

◆概要◆


木造城は伊勢国司・北畠顕能の次男・顕俊により1366年に築かれました。 北畠顕俊は木造姓を名乗り、木造氏の祖となりました。 しかし、本家の北畠氏が南朝方であったのに対し、2代目・木造俊康は足利将軍と親しく北朝に味方したため本家と対立。 1429年に北畠満雅が幕府軍との戦いで戦死するまで両家の争いが続きました。 和睦した後は、木造氏は北畠氏の有力な一門として扱われるようになりました。 その後、北畠晴具の三男・具政が木造氏を継ぎましたが、1554年の対織田戦で馬揃えの馬番が田丸・河内・坂内の後であることに不満を抱き、織田信長に寝返りました。 織田信長の二男・信雄が北畠氏の養子となり家督を継ぐと、木造具政はその家臣となりました。 織田信長の死後、羽柴秀吉と織田信雄が対立して小牧・長久手の戦となりましたが、その際に羽柴秀吉方の蒲生氏郷に攻められて落城しました。 戦後、木造長政は田辺城(三重県いなべ市)に城を築いて移り、木造城は廃城となりました。 現在、城跡の周りは田んぼとなり、その中にポツリと残された木立の中に城址碑があります。
木造城
城跡
木造城
城址碑
inserted by FC2 system