菰野陣屋

所在地:三重県三重郡菰野町菰野
2012年6月3日(訪問日:2011年7月30日)

◆概要◆


菰野陣屋は織田信長が伊勢を制圧し、北伊勢を与えられた滝川一益が1568年に代官所を置いたことに始まります。 滝川一益が小牧・長久手の戦に敗れて領地を没収されると北伊勢は織田信雄の領地となり、土方雄久に菰野7千石が与えられました。 土方雄久は1599年に徳川家康の暗殺を企てたとして領地を没収されましたが、関ヶ原の戦で前田利長を東軍につけた功により許され、子の土方雄氏が菰野に復帰しました。 土方雄氏は代官所の跡地に陣屋を築き、そのまま移封されることもなく明治維新まで土方氏が菰野を治めました。 当初は質素な造りで堀も櫓もありませんでしたが、土方雄氏が織田信雄の娘・八重姫を正室に迎える際に「堀も無いような城の主に娘はやれぬ」と言われ、急遽堀を掘った逸話が残っています。 また、明治元年にも同じ理由で堀と二重の隅櫓を整備しています。 陣屋は明治時代に取り壊され、現在は町立菰野小学校となっています。 陣屋の裏門が町内の金蔵寺に移築されて現存しています。
菰野陣屋
菰野陣屋
説明板
菰野陣屋
城址碑
菰野陣屋
移築門(金蔵寺)(地図)
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