安濃城

所在地:三重県津市安濃町安濃
2012年12月24日(訪問日:2011年7月30日)

◆概要◆


安濃城は弘治年間(1555〜58年の間)に長野氏の一族・細野藤光により築かれました。 安濃集落の背後にある丘陵一帯が城域であり、東西約300メートルにわたって並ぶ曲輪群は、伊勢にある平山城としては最大級の規模を誇ります。 長野氏は鎌倉時代初期に伊勢平家を追討するため安濃・奄芸二郡の地頭となった工藤祐長の子孫で、北伊勢の有力国人でありました。 長野氏は北朝方であったため南朝方の北畠氏とは争いが絶えませんでしたが、1558年に北畠具教の軍門に降り、その二男・具藤を長野氏の跡継ぎとすることで和解しました。 その後は北畠氏の家臣となり、ともに赤堀氏や関氏らと戦いました。 1568年に織田信長が伊勢に侵攻すると、最初に標的にしたのは長野氏でした。 長野氏の内部では和戦両論に意見が割れ、細野藤光の子・藤敦は抗戦派であり、安濃城で滝川一益を退けるなど抵抗を続けました。 弟の分部光嘉・川北藤元らは和睦派であり、織田信長の弟・信包を長野氏の跡継ぎとすることを申し入れました。 しかし、長野具藤は細野藤敦が信長側に寝返ったという流言を信じて細野藤敦を攻め、返り討ちに遭って実家である北畠氏の本拠地・多芸に逃れました。 長野氏は織田信包を当主として迎えたため、細野藤敦も従いました。 しかし、1576年頃から織田氏による反抗的な北畠氏家臣の排除が始まり、1580年に織田信包が安濃城を攻め落としました。 細野氏は落ち延びて蒲生氏を頼りました。 現在、本丸跡には阿由多神社があり、周囲には土塁や曲輪の跡が残っています。
安濃城
阿由多神社
安濃城
土塁
安濃城
空堀
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