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園部城 |
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●地図● 京都府南丹市園部町小桜町 |
2011年2月12日(訪問日 2008年5月3日) |
◆概要◆ 但馬国出石城より小出吉親が1619年に国替によって入封し、船井郡、桑田郡、何鹿郡と上野国甘楽郡の約3万石を所有する園部藩が誕生しました。 入封直後は宍人城周辺に居館を築く予定でしたが、計画を変更して小麦山周辺を居館化しました。 江戸幕府より「城」と称する事を許されませんでしたが、小麦山の南東丘陵に居館、武家屋敷を構え、城下町の周囲には外郭線を築いた本格的な惣構えを築きました。 幕末になり京都の治安が不安定になると、藩主・小出英尚は防御を固めるために何度も江戸幕府に陣屋の改修を申し出ました。 1867年10月にようやく内諾を得ましたが、大政奉還の為正式な許可が出ず、1868年1月に明治政府に願い出てようやく認められました。 翌年8月28日に櫓門が3ヵ所、巽櫓や小麦山の三層櫓などの櫓が5ヵ所、堀も造成し、日本で最後の「城」が誕生しました。 しかし、2年後に廃藩置県によって園部県となり、県庁として利用されたもののすぐに廃止され、園部城は民間に払い下げられました。 現在は京都府立園部高校の敷地となっており、櫓門、巽櫓が現存しています。 |
![]() 現存櫓門 |
![]() 現存巽櫓 |
![]() 南丹市国際交流会館(城郭風建築物) |
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