福知山城
所在地:京都府福知山市内記一丁目
2019年8月12日更新(最終訪問日 2019年8月6日) | ||||
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◆概要◆ 小笠原長清の末裔とされる塩見頼勝が、室町時代後期に横山城を築いたのがはじまりとされます。 1579年に丹波を平定した明智光秀が近世城郭へと大修築し、これを福智山城と改名して甥の明智秀満を城主としました。 石垣は穴太衆による野面積みであり、石材に墓石や石仏が使用されています。 織田信長やその家臣の城ではよく見られますが、その多さは大和郡山城と並んで群を抜いています。 これは石材不足や権力の誇示などさまざまな説がありますが、未だに理由がはっきりしていません。 本丸の井戸「豊磐井」(とよのいわい)は、城郭内の井戸として日本一の深さ(50メートル)を誇ります。 現在は福知山城公園として整備され、天守は1986年に復元され、福知山市郷土資料館となっています。 本丸以外の曲輪は残っておらず、廃城後の開発によって城のあった丘陵地形は分断されました。 復元天守は、大天守、続櫓、小天守が連結された形で、近世初期の望楼型です。 外観は忠実に再現されていますが、鉄筋コンクリート造です。 |
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西から望遠で撮影 東側の堀跡 佐藤太清記念美術館 小天守 転用石 南東から望遠で撮影 |
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