鞠智城
所在地:熊本県山鹿市菊鹿町米原
2019年9月7日更新(最終訪問日 2019年8月10日) | |||
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◆概要◆ 鞠智城は663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷が、来るべき来襲に備えて西日本各地に築いた城の1つとされます。 また、大和朝廷が九州南部の統治と隼人経略を目的とした、とする説もあります。 築城年代は不明ですが『続日本記』の698年5月25日の条に「大宰府をして、大野、基肄、鞠智の三城を繕治せしむ」との記載があり、それ以前に築かれていたことが判明しています。 九州を統治していた大宰府や、それを守るための大野城・基肄城に武器・食糧を補給する支援基地であったと考えられています。 1967年度からの熊本県の発掘調査により、全国的にも珍しい八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など貴重な遺構が相次いで発見されました。 こうした発掘調査の成果に基づき、1994年度から4棟の建物(八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉)の復元をはじめ、城の立地や規模、構造などを体験的に学習できる歴史公園として整備されました。 |
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案内図(文字が小さいので書き足しました) |
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温故創生館 八角形鼓楼 米倉と八角形鼓楼 深迫門跡(草深く近づけず) 堀切門跡の説明板 堀切門跡 南側土塁線の説明板 土塁がわからず・・・ 南側土塁線から見た城内 池の尾門跡の説明板 門の跡は埋め戻されたようです 休憩所下の堀跡 西側土塁線の説明板 宮野礎石群にある礎石 板倉 |
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