高知城
所在地:高知市丸ノ内
2018年8月12日更新(最終訪問日 2018年8月5日) | |||
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◆概要◆ 高知平野のほぼ中心に位置する平山城で、鏡川と江の口川を外堀として利用しています。 南北朝時代に南朝方の土豪・大高坂松王丸がこの地に大高坂山城を築いたのが始まりとされます。 1341年に北朝方に攻められ落城するといったん廃城となりますが、長宗我部元親が新たな居城にしようと城を築きました。 しかし、水はけが悪かったため、新たに浦戸城を築いてそちらへ移りました。 その後、1601年に山内一豊が土佐一国の主となり浦戸城に入りますが、手狭なため大高坂山城を改修しました。 この時に併せて鏡川と江の口川の治水工事も行い、土佐支配の拠点となりました。 現在見られる城は、2代藩主・山内忠義の時代に完成しています。 4層5階からなる天守は、山内一豊の前任地・掛川城の天守を模したと伝わります。 創建当初の天守は火災により焼失しましたが、1729年から26年の歳月をかけて復興されました。 明治時代初頭の廃城令や第二次大戦による空襲を免れて、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存しています。 高知城全域は高知公園として開放されており、本丸御殿・天守は懐徳館として資料館となっています。 城下には高知県庁や高知市役所などの行政機関や司法機関が立ち並び、高知県の行政の中心地となっています。 |
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追手門と天守 詰門と天守 黒鉄門 二ノ丸の入口から見た天守 二ノ丸から見た本丸 二ノ丸水の手門跡の桝形 三ノ丸綿倉門から下りる道 三ノ丸の石垣と天守 三ノ丸にある長宗我部期の石垣 三ノ丸鉄門跡 杉ノ段から見た本丸の石垣 杉ノ段から見た三ノ丸の石垣 山内一豊の妻の像 杉ノ段から見た天守 追手門から杉ノ段に上がる石段 板垣退助像 山内一豊像 追手門 追手門前の堀 堀の南東部分 堀の南西部分(県庁前) 搦手門跡 北曲輪跡 |
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