作延城

所在地:神奈川県川崎市高津区下作延
2017年3月20日更新(訪問日:2011年8月13日)

◆概要◆


作延城は平安時代終わり頃に稲毛三郎重成により築かれました。 稲毛重成は秩父一族であり、当初は小山田重成と名乗っていました。 小山田重成の父は小山田氏の祖・小山田有重で、従兄弟には文武両道で鎌倉幕府創立の功臣・畠山重忠がいました。 小山田重成をはじめとする秩父氏一族は当初、源頼朝の挙兵に際しては平家方でした。 しかし、源頼朝が安房国で再挙すると従うようになり、有力な御家人となりました。 小山田重成は稲毛荘を安堵されて稲毛重成と改名し、本拠となる枡形山城を築きました。 作延城はその支城としてこの時に築かれたと考えられています。 作延城の位置は明確ではありませんが、江戸時代に編纂された地誌『新編武蔵国風土記稿』では延命寺の背後の山に稲毛重成の城があったとされます。 東西を結ぶ矢倉沢往還(現・国道246号)のすぐ北脇に位置し、西から南を回って東へ流れる多摩川の支流・平瀬川に囲まれているため、城を築くのには適しています。 稲毛重成は北条政子の妹を妻に迎えて源頼朝の側近として活躍しましたが、源頼朝の没後は北条時政により粛清されました(1205年畠山重忠の乱)。 作延城はこの時に廃城になったとされています。 現在は緑ヶ丘霊園一帯が城域と考えられていますが遺構は残っておらず、広大な墓地内に城址碑と説明板が設置されているのみです。
作延城 案内
霊園入口付近にある案内
作延城 城址碑
城址碑のある木陰
作延城 説明板
城址碑脇にある説明板
作延城 城址碑
城址碑
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