岡崎城

所在地:神奈川県伊勢原市岡崎〜平塚市岡崎
2017年3月20日更新(訪問日 2011年5月8日)

◆概要◆


岡崎城は前期と後期とで位置が少し異なります。 前期(平安時代末〜鎌倉時代)の岡崎城は、現在岡崎神社がある場所を中心として、源頼朝の巧臣・岡崎義実により築かれました。 岡崎義実は三浦義継の4男で、地名をとって岡崎四郎義実と名乗りました。 岡崎義実は石橋山合戦に参戦し、その後も源頼朝に従って三浦の4棟梁(三浦・和田・佐原・岡崎)の一つに数えられる重臣となりました。 後期(室町時代〜戦国時代)は無量寺のある場所を中心に築かれました。 1494年に三浦義同が義父・三浦時高を滅ぼし、岡崎の地にあった城跡に手を加えて居城としました。 その頃、伊豆から相模へ進出していた伊勢宗瑞(北条早雲)は、相模西部を平定すると相模東部を狙うようになりました。 しかし、岡崎城の周囲は西海地土腐などの湿地帯で守りが堅く、攻略するのに17年の年月を要しました。 1512年8月にようやく攻め落され、三浦義同は弟・三浦道香の住吉城に逃れました。 その後は後北条氏の城となったと思われますが、廃城時期は明らかではありません。 無量寺の西約500mの所に岡崎義実の墓があるほか、郭や土塁、堀などが残っています。
岡崎城 無量寺
無量寺の入口
岡崎城 説明板
岡崎城の説明板
岡崎城 堀跡と土塁
堀跡と土塁
岡崎城 岡崎義実の墓
岡崎義実の墓
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