小田原城
所在地:神奈川県小田原市城内
2017年3月20日更新(最終訪問日 2017年2月24日) | |||
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◆概要◆ 小田原城は2代目・北条氏綱から4代にわたり本拠地としていました。 3代目の北条氏康の時には上杉謙信、武田信玄らに攻められながら撃退したほどの堅城です。 八幡山から海側に至るまで小田原の町全体を取り囲み、総延長9kmの壮大な惣構えをもっていました。 これは豊臣秀吉が築いた大坂城よりも規模が大きいです。1590年に豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼした後は、徳川家康の腹心・大久保忠世が城主となりました。 2代目の大久保忠隣が改易となると、徳川家康は自ら数万の軍勢を率いてこの惣構えを破壊しています。 地方にこれ程大規模な惣構えがあることを警戒していたためと考えられています。 その後、阿部氏、稲葉氏が城主となりますが、再び大久保氏が城主に復帰して明治維新を迎えました。 現在の小田原城の本丸部分は、大久保氏が城主の時代に造営されたものです。 江戸時代には二度の大地震に見舞われており、元禄の地震では天守・櫓などが倒壊して1706年に天守が再建されました。 この再建天守は明治時代に解体されるまで存続しました。 明治時代には御用邸となっていましたが、関東大震災により大破。 昭和になり復元が始められ、1960年には天守が復興されました。 現在も、城中心部の復元が続いています。 |
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案内図 |
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復興天守 馬出門と隅櫓 馬屋曲輪から見た住吉橋 銅門 銅門(内側から) 銅門と夜桜 常盤木門 隅櫓 八幡山古郭東曲輪から見た小田原城天守 |
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