枡形山城

所在地:神奈川県川崎市多摩区枡形
2017年3月17日更新(訪問日 2011年8月13日)

◆概要◆


枡形山城は平安時代末に小山田重成により築かれました。 小山田氏は多摩郡から町田市一帯を領する秩父一族で、源頼朝が石橋山で挙兵した時は他の秩父一族同様、平家方として戦いました。 しかし、源頼朝が安房国で再起してからは源頼朝に仕えるようになりました。 その後は源頼朝軍の主力として各地を転戦し、北条政子の妹を娶って武蔵国稲毛荘を安堵され、稲毛三郎重成と名乗るようになりました。 稲毛重成は源頼朝の重臣として活躍しましたが、源頼朝は稲毛重成が架けた橋の落成供養の帰途に落馬したことが元で死去しています。 源頼朝の死後、北条時政による重臣の粛清が相次ぐ中、稲毛重成は1205年の畠山重忠の乱の際に謀殺されました。 難を逃れた稲毛一族は、四国の讃岐へと落ち延びました。 その後も枡形山城は城として使われており、1504年には伊勢宗瑞(北条早雲)が帯陣したほか、武田信玄が小田原城を攻めた際には後北条家臣の横山弘成が守っていました。 廃城時期は不明ですが、周辺の状況から1590年に後北条氏が滅ぼされた時だと考えられています。 城は多摩川から近い台地上に築かれており、主郭跡にある展望台からの眺めはとても良いです。 城としての遺構は見当たりませんが、急峻な断崖に囲まれた広大な広場自体が遺構とも言えます。 城跡は生田緑地として整備されており、登城路は綺麗に整備されていて楽に登ることができます。
枡形山城 図
公園の案内図
枡形山城 冠木門
冠木門
枡形山城 城址碑
城址碑
枡形山城 展望台
展望台
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