波多野城
所在地:神奈川県秦野市寺山
2017年3月23日更新(訪問日:2013年12月7日) | |
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◆概要◆ 波多野城は平安時代にあった波多野氏の居館で、秦野市立東中学校の西側にあったとされます。 西に川が流れて堀の役割を果たし、東側は湿地に囲まれた南北に長い平地が城跡だったと考えられています。 しかし、発掘調査ではこの場所から遺構らしきものは発見されておらず、今でも波多野城がどこにあったのかは確定されていません。 波多野氏の祖は源頼義に仕えた佐伯経資で、源頼義が相模守に任命された際に目代として相模に下向しました。 その後、周辺に一族を配置し、松田氏らが派生しました。 波多野氏は数代の後、主家である源義朝と不和となり、源頼朝が挙兵した際も敵対したため没落しました。 |
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中学校脇の道に案内があります 案内の所から見た北半分 案内の所から下りて見た南半分 城塁 南側はあまり高低差がありません 南端に案内があります 田んぼに沿って若干の犬走りがあります 城塁を上がる階段があります 階段の奥に城址碑があります 城址碑 城址碑の奥は畑になっています 城址碑側から見た中学校側 北側にも案内があります 北側の案内から城塁に上がる所 城跡内部は畑があるだけです |
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