権現山城

所在地:神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷
2017年3月9日更新(訪問日:2011年9月24日)

◆概要◆


権現山城は築城年は不明ですが、長享の乱(1487〜1505年)で活躍した上田政盛が相模守護代に任命され、権現山城を与えられました。 上田政盛は扇谷上杉家の四天王の一人でしたが、1505年に扇谷上杉朝良が山内上杉顕定に降伏すると、神奈川湊を山内上杉家に返すよう命じられました。 また1510年には長森原の戦いで山内上杉顕定が自刃すると、伊勢宗瑞(北条早雲)は上田政盛を味方につけ、権現山城で挙兵させて関東進出を開始しました。 これにより権現山の戦が始まりました。 権現山城は相模と武蔵の境にあり、扇谷上杉氏の勢力圏を二分する位置にありました。 北条早雲は長尾景春と今川氏親の軍勢を加えて権現山城に援軍を差し向けましたが、扇谷上杉朝良と山内上杉憲房の連合軍に敗れ、10日後には権現山城も落城しました。 上田政盛は討死したとも北条早雲を頼って落ち延びたとも言われますが、消息は不明です。 その後、後北条氏により北西に青木城が築かれ、その一部となったようです。 当時の権現山城は「四方嶮岨にして切岸高く、南は洋海浸々として、雲の波、天に連なりて邊なく、北は深田の底知らず、馬の足更に立つべからず。 西の方には小山の続きたる其の間を堀切」と『鎌倉九代記』に記される程の要害でしたが、江戸時代末期に神奈川台場築城の土取場となったため、地形が大きく改変されています。 現在は幸ヶ谷公園となっており、桜の名所として知られています。
権現山城 幸ヶ谷公園
幸ヶ谷公園
権現山城 説明板
説明板
権現山城 青木城跡
線路越しに見える青木城跡
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