青木城

●地図●

 神奈川県横浜市神奈川区高島台
2017年3月8日更新(最終訪問日 2011年9月24日)

◆概要◆


青木城は北条氏の重臣・多米元興が城主でした。 すぐ隣にある権現山城で1510年に両上杉氏と戦って敗れた伊勢宗瑞(北条早雲)でしたが、1524年には2代目の北条氏康が江戸城を攻略しており、この頃までには多米氏に与えられたものと考えられます。 多米元興の父・元益は、元々は三河の土豪でした。 伊勢宗瑞が新九郎と名乗って幕府の申次衆であった頃から親交があり、1487年に今川氏の家督争いの調停に向かった時に共に駿河へ下向しました。 その後、伊勢宗瑞による小田原城攻めの際は先鋒を務め、「伊勢七騎」と呼ばれて北条家中では格別な地位にありました。 本貫地の三河に多米元益の一族が残りましたが、後に二連木城主・戸田宗光に攻め滅ぼされてしまいました。 権現山城と青木城とは100メートル程しか離れておらず、上田政盛の頃に既に城の一部であったと考えられています。 当時は峰続きであったようですが、地形の改変が激しく遺構も残っていないため、往時を知る術がありません。 多米元興の子・多米長宗は、1590年の小田原征伐の際に上野国西牧城で長子・多米家元とともに討死しました。 城跡には本覚寺があり、江戸時代末期に開国した際にはアメリカの領事館が置かれました。


権現山城跡からの遠景

トップページに戻る 神奈川県の城跡 ページの一番上に戻る

inserted by FC2 system