高松城
所在地:香川県高松市玉藻町
2018年8月11日更新(最終訪問日 2018年8月5日) | |||||
|
|||||
◆概要◆ 水軍の運用も視野に入れ設計された日本初の本格的な海城でした。 かつては城壁が瀬戸内海に直接面して城内に軍船が出入りできるようになっていました。 高松城などの海城は海上封鎖が難しく水攻めができないため、篭城や物資の搬入、脱出などにはとても有利でした。 明治時代に廃城になってからは都市化の波に呑まれ、ほとんどの建物が取り壊され、海側には道路が造られ、大部分の堀が埋め立てられました。 しかし、現在でも外堀と内堀には海水が引き込まれており、牡蠣などの貝が生息し、養殖の鯛も放流されています。 かつては天守があり、3重4階、地下1階、高さは13間半(約24.5m)にも及び、四国最大の天守でした。 また、4階平面が3階平面より大きいいわゆる唐造りで、一重目も天守台から外には張り出して石落しを開いていました。 創建時は下見板張の黒い外観だったらしいのですが、1671年の大改修で真っ白な漆喰総塗籠の天守となりました。 天守は老朽化により1884年に解体され、天守台には玉藻廟が建立されていました。 現在は天守台の組み直しが行われ、天守の復元着工を目指しています。 |
|||||
|
|||||
太鼓櫓跡にある艮櫓と東門 東門(旭門)の桝形 東門(旭門)の桝形 東門(旭門)の桝形内にある埋門 艮櫓 玉藻公園内の様子 桜の馬場 桜の馬場南側の土塁 桜の馬場から見た天守台 桜御門跡 桜御門跡 披雲閣 柵に貼ってあった天守のイメージ 天守台と鞘橋 水門と鉄門の石垣 水門 鉄門跡 鞘橋 本丸の桝形門跡 本丸内部 本丸から見た天守台 天守台内部 玉藻公園北東部分の石垣 内側から見た水手御門と月見櫓 西門から見た外側の世界 西門 玉藻公園北側の堀跡 月見櫓と水手御門 鹿櫓の石垣 艮櫓の石垣 |
|||||