盛岡城
所在地:岩手県盛岡市内丸
2017年8月16日更新(最終訪問日 2017年5月4日) | |
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◆概要◆ 西を流れる北上川と南東を流れる中津川の合流地にあった花崗岩丘陵に位置する要害で、盛岡藩南部氏の居城でした。 一般的に別名・不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれますが、これは南部氏の家臣・福士慶善淡路が設けた「慶善館」のあった場所に盛岡城が築かれたことによります。 本丸と二の丸の間は空堀で仕切られて現在は朱塗りの橋が架かっていますが、存城当時は廊下橋が架けられていたそうです。 さらにその北側に三の丸が配され、本丸を囲むように腰曲輪、淡路丸、榊山曲輪が配されています。 本丸には御三階櫓が建造されましたが、1842年に12代目藩主・南部利済により「天守」に改称されています。 白い花崗岩で組まれた総石垣造の大城郭は、土塁の多い東北地方の城郭の中では異彩を放っています。 建造物は明治時代はじめに解体され、現存するものは殆どありません。 城跡は現在「盛岡城跡公園」として整備されています。 |
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@鶴ヶ池、時鐘 A下曲輪 B亀ヶ池 B亀ヶ池 C櫻山神社 D瓦御門 E車御門 F渡雲橋(左が本丸、右が二の丸) G本丸(南部中尉銅像台座) H御末御門 I多目的広場(御台所跡) J桜と石垣 K江戸時代中期の石垣 L南西隅の石垣 M坂下御門から吹上御門に上がる坂 N吹上御門跡から見た本丸の石垣 O彦御蔵(城内で唯一現存する建物です) 城址碑 |
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