九戸城
所在地:岩手県二戸市福岡町字五日町
2018年5月6日更新(最終訪問日 2018年5月3日) | ||||
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◆概要◆ 九戸城は南部氏の有力一族である九戸氏により明応年間(1492〜1501年の間)に築かれました。 1580年、南部氏で家督争いが起こると、九戸政実は南部晴政の晩年の実子である南部晴継を支持しました。 しかし、南部晴継は13歳で謎の死を遂げると、南部晴政の後継者として養子になっていた南部信直が家督を継ぎました。 1590年、豊臣秀吉による奥州仕置き後、勢力図が大きく変わり、陸奥は不満を抱く多くの武士で溢れて不穏な状況となりました。 この機に乗じて九戸政実は挙兵し、南部信直を攻めました。 戦は九戸政実が優勢でしたが、南部信直は豊臣秀吉に援軍を求め、九戸討伐軍が派遣されました。 討伐軍は豊臣秀次を総大将とする6万の大軍でしたが、九戸政実が善戦し膠着状態となりました。 最終的に九戸政実の助命を条件に和睦しましたが、九戸政実をはじめ一族は皆殺しにされました。 戦後、討伐軍に参加していた蒲生氏郷により九戸城は改修され、南部信直の居城となりました。 南部信直は1597年に盛岡城を築いて本拠を移しましたが、九戸城は1636年まで存続しました。 曲輪を区画する大きな堀や、ニノ丸の土塁、本丸の石垣などがよく残っています。 2017年4月6日には、続日本百名城に選出されました。 |
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図 |
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@松ノ丸にある安養寺 @松ノ丸安養寺駐車場入口 A大手門脇堀跡 案内図入(中にパンフレットがあります) B二ノ丸大手門跡にある城址碑 B二ノ丸大手門(内側から) C二ノ丸の土塁(南側) C二ノ丸の土塁(北側) D本丸の堀と石垣 D本丸虎口跡 D本丸虎口脇の堀 E本丸追手門跡 E本丸追手門脇の堀 F二ノ丸搦手門跡(内側から) F二ノ丸搦手門跡(外側から) 二ノ丸搦手門跡から見える堀跡 G石澤館内部の様子 石澤館と二ノ丸の間の堀 |
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