花巻城
所在地:岩手県花巻市城内
2017年8月20日更新(最終訪問日 2017年8月7日) | ||
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◆概要◆ 花巻城は10世紀頃、安倍氏が鳥谷ヶ崎城を築いたのが始まりとされます。 その後、稗貫氏がこの地方を支配し、16世紀後半に鳥谷ヶ崎城を本拠としました。 豊臣秀吉による奥州仕置により1591年に稗貫氏が滅び、代わって南部氏一族の北秀愛が城代となり「花巻城」と改称しました。 1615年の一国一城令の際には特例として存続が認められ、1869年に廃城となるまで南部氏が城代を置きました。 城跡は市街化により旧態を留めていませんが、本丸が花巻市指定史跡に指定され西御門が復元されています。 このほか、周囲には堀や堀跡がその地形を留め、円城寺門が鳥谷ヶ崎神社に現存しています。 ●歴史● 10世紀、安倍氏が居城としており「鳥谷ヶ崎城」と呼ばれていました。 12〜16世紀、稗貫氏が居城としていました。 1590年、豊臣秀吉の小田原征伐に参加しなかった稗貫氏が、奥州仕置により領地を没収されました。 1591年、南部家家臣・北秀愛が城代となり、城を改修して「花巻城」と改称しました。 1598年、北秀愛が没し、その父・北信愛(北松斎)が城代となりました。 1600年、南部氏が山形へ出陣している隙を突き和賀氏旧臣が一揆を起こしますが、北松斎が鎮圧しました。 1613年、北松斎が没し、南部利直の二男・南部政直が城主となると、多くの櫓や門を建設しました。 1869年、廃城となりました 1873年、城内の建築物が破却されました。 1992年、花巻開町400年を記念して、本丸西御門周辺が復元されました。 |
西御門前にある案内図 |
A 近くには古図を載せた説明板も B 円城寺門の説明板 B 円城寺門跡 B すぐ近くに移され現存する円城寺門 C 馬場口御門跡 D 東御門跡 E 早坂御門跡 F 西御門(復元) G 御台所御門跡 H 下堀跡 I 薬研堀跡 J 鐘楼堂御堀跡(西御門脇) K 鐘楼堂御堀 L 御囲御堀跡 M 本丸の北を流れる天然の堀・瀬川 |