金沢城
所在地:石川県金沢市丸の内
2022年6月24日更新(最終訪問日 2018年7月14日) | |||
|
|||
|
|||
◆概要◆ 金沢平野を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた平山城です。 織田信長が加賀一向一揆の拠点であった「尾山御坊」を攻め落とし、佐久間盛政を置いて「金沢城」としました。 佐久間盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされると、豊臣秀吉は金沢城を前田利家に与えました。 前田利家は1592年から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べました。 櫓や門の海鼠壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓や塀の唐破風や入母屋破風の出窓が特徴です。 鉛瓦は軽量で冬の積雪に耐えられ、また、有事には鉄砲弾にもなりました。 あまり堅固な城とは言えず、城下町には敵を迎え撃つための拠点として多くの寺が建立されました。 また、5代・前田綱紀は守りが弱いとされた搦手に大名庭園の兼六園を造りました。 城の周囲には大手堀、いもり堀、百間堀、白鳥堀がありました。 現存するのは大手堀のみで、他の3つの堀は明治時代末から大正時代にかけて埋め立てられ道路などになりました。 このうち、いもり堀は復元作業が行われています。 明治以降は軍の施設が置かれ、建物の一部を残して撤去されました。 第2次世界大戦後から1995年までの間、城内には金沢大学がありました。 現在は金沢城公園として整備され、復元事業が続けられています。 |
|||
金沢城・兼六園の案内図(字が小さくなったので書き足しました) |
|||
|
|||
本丸の石垣 本丸の石垣 前田利家像 沈床園から見た石川門 石川門(現存) 石川橋から見た石川門 橋爪門・五十間長屋・菱櫓 橋爪門・五十間長屋・菱櫓 三十間長屋(現存) いもり堀と鯉喉櫓台 いもり堀と鯉喉櫓台 辰巳櫓の高石垣 いもり坂 玉泉院丸 松坂門前の堀 松坂門跡 堀に架かる極楽橋 鉄門跡 本丸 鶴丸倉庫前から見た五十間長屋 本丸と鶴丸の間の虎口 鶴丸倉庫前の虎口 五十間長屋脇の堀 兼六園との間にある百阮x跡 河北門 河北門 河北門 新丸から見た河北門と石川門 大手門跡 黒門跡 |
|||
鯉喉櫓台の説明板 いもり堀整備の説明板 説明板の図 石垣めぐりの図 |
|||