篠山城
所在地:兵庫県丹波篠山市北新町
2019年8月13日更新(最終訪問日 2019年8月6日) | |||
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◆概要◆ 1609年、松平康重が常陸国笠間から転入して新たに城を築きました。 これは山陰道の要衝・篠山盆地を抑え、豊臣方の西国諸大名を牽制する目的があったとされます。 篠山盆地中心部の丘陵である笹山を中心として、築城の名手・藤堂高虎が縄張を担当しました。 普請総奉行を池田輝政が務め、15ヶ国20の大名の天下普請により、わずか半年足らずで完成しました。 築城当初から天守台はありましたが、天守は建てられませんでした。 これは城の造りがあまりにも堅固過ぎることを江戸幕府が懸念したためと伝わります。 以後、松平三家8代、青山家6代が居城とし、明治維新を迎えました。 明治維新後、城の建築物は大書院を残して取り壊されました。 その大書院も1944年1月6日の失火により焼失してしまいました。 2000年4月に大書院が復元され、現在も城周辺の整備が進められています。 |
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図は南が上です |
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北廊下門跡 北廊下門跡 内堀 内堀 中門跡 鉄門跡 鉄門跡 二の丸 奥から見た二の丸 二の丸南側の埋門跡 本丸にある青山神社 天守台 外堀(北西の角) 南馬出の堀 南馬出の土塁 外堀の外側から見た天守台 東馬出の堀 東馬出 北側の内堀 大手馬出から城内へ通じる道の跡 大手馬出跡 |
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