出石城
所在地:兵庫県豊岡市出石町内町
2019年8月12日更新(最終訪問日 2019年8月6日) | |||
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◆概要◆ 平安時代に但馬国守護の山名時義が此隅山城を築き本拠としていました。 1569年、羽柴秀吉による但馬遠征で落城して山名氏は城を失いましたが、今井宗久の仲介により領地に復帰しました。 そして、その5年後に有子山城を築いて本拠を移しました。 しかし、山名氏は毛利氏に味方したため、羽柴秀吉による第二次但馬征伐で再び落城し、山名氏は滅亡しました。 その後は前野氏、小出氏が城主を務めました。 1604年、小出吉英により有子山城が廃城となり、新たに山麓に出石城が築かれました。 江戸時代に小出氏が無嗣改易となると、松平忠周が城主となりました。 1706年に仙石政明が入城し、廃藩置県まで仙石氏の居城となりました。 明治時代に廃城となり出石城も取り壊されましたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが残され現存しています。 また、隅櫓、登城門・登城橋などが復元されました。 現在は整備されて観光地となっています。 |
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パンフレットの図(出石城部分) 説明板の図(有子山城部分) |
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いずし観光センター 17.大手門跡にある辰鼓楼 18.登城門前から見た出石城と有子山城 二の丸の石垣と9.隅櫓(西) 9.隅櫓(西) 7.隅櫓(東) 6.山里丸 2.本丸の石垣 2.本丸 1.稲荷丸の石垣 1.稲荷丸 有子山登山口(主郭までの比高は256m) 登山道(尾根の直登が800m続きます) 途中にある堀切 大きな曲輪(ここまでの比高は180m) 図の右上の曲輪から緩やかな道に 井戸曲輪からは九十九折れに 曲輪が連なります 二郭の石垣 二郭から見た主郭の石垣 主郭 主郭からの眺め 主郭から見た千畳敷 二郭脇から千畳敷へ 主郭と千畳敷の間の大堀切 千畳敷 千畳敷は三段になっています |
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