有岡城

所在地:兵庫県伊丹市伊丹2丁目
2011年9月8日(訪問日 2011年/8月4日)

◆概要◆


築城年代は定かではありませんが、室町時代初頭に伊丹氏が居城としていました。 戦国時代になると荒木村重により攻め落とされ、大規模な改修を受けて「有岡城」と改名されました。 日本で最初に天守が築かれた城として有名で、天守台の跡は伊丹駅の西にある忠魂碑の辺りだと伝わっています。 荒木村重は織田信長からの信頼が厚く、摂津国守護に任じられる程でしたが、羽柴秀吉とともに三木城を攻めている最中に突然有岡城に引き上げてしまいました。 その後、明確に反旗を翻したため織田軍により征伐されましたが、謀反の理由は今もなお不明です。 荒木村重は籠城戦のさなかに単身で尼崎城へ移りましたが、城主不在のまま籠城戦は続きました。 しかし、およそ1年経った頃に内通者が現れたため落城し、荒木村重の一族は処刑されました。 荒木村重本人は尼崎城から花隈城に移って抵抗を続けましたが、最後は毛利氏のもとへ落ち延びました。 なお、この戦いで黒田孝高が荒木村重を説得するために有岡城を訪れましたが、そのまま1年ほど幽閉されたため、足が不自由になった話は有名です。 本能寺の変の後に堺で茶人となり、豊臣秀吉と和解して荒木道薫と号しました。 その後は池田之助が城主となりましたが、4年後に美濃に移されて廃城となりました。 城跡は鉄道敷設のために主郭の東半分が失われましたが、石垣や土塁、堀、井戸の跡が現存しています。
有岡城
堀跡
有岡城
土塁
有岡城
石垣
有岡城
城址碑
有岡城
井戸跡
有岡城
石垣
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