赤穂城
所在地:兵庫県赤穂市上仮屋
2019年8月12日更新(最終訪問日 2019年8月7日) | ||||
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◆概要◆ 関ヶ原の戦功により播磨一国が池田輝政の領地となり、その重臣・垂水勝重により陣屋造りの一重の堀に囲まれた掻き上げの城が築かれました。 江戸時代には赤穂藩の藩庁が置かれ、浅野氏が城主となってから本格的に総石垣造りの城となりました。 銃砲による戦を意識した設計となっていて、十字砲火が可能な横矢掛かりが数多く用いられています。 5万石の藩にしては過度に大規模だったため、城の維持管理が原因で財政難に陥りました。 5層天守の造営も計画されていましたが築かれず、天守台のみが残っています。 千種川より上水道を敷設し、城内のみならず城下各戸にも給水されており、日本三大上水道の一つに数えられています。 明治時代前期に城内の建物が破却され、石垣と堀のみが残っていましたが、櫓・門・塀・庭園が再建されました。 |
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30.塩屋門跡 明治10年代頃の塩屋門(説明板より) 31.西隅櫓台 大石神社 10.北隅櫓台 15.二之丸門跡 二の丸の堀跡 二の丸の土塁 大石頼母助屋敷門 本丸の堀と石垣 3.本丸門 本丸の堀と石垣 1.天守台(2008年撮影) 4.東北隅櫓台 5.厩口門 6.東横矢桝形の石垣 本丸の石垣と堀 7.刎橋門跡 8.南横矢桝形の石垣 21.水手門跡 22.南沖櫓台 南西側の水堀 32.西南櫓台と33.干潟門跡 西側の石垣と32.西南櫓台 31.西隅櫓台 北側の石垣 25.北横矢桝形の石垣 25.北横矢桝形〜26.大手隅櫓 26.大手隅櫓と27.大手門 27.大手門 27.大手門の桝形 28.東隅櫓台〜18.東北隅櫓台 29.清水門跡 18.東北隅櫓跡 29.清水門跡(内側から) 大石頼母助邸長屋門 大手門から見た本丸内部 天守台 大池泉 |
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