松前城
所在地:北海道松前郡松前町字松城
2018年6月6日更新(最終訪問日 2018年6月3日) | |||
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◆概要◆ 蠣崎慶広が徳川家康に蝦夷地図を献上して臣従した際に松前姓に改め、6年にかけて陣屋を築きました。 松前藩は米を生産出来ないため、蝦夷地での交易を独占することが許された「無高の藩」でした。 幕末になりロシア艦隊などが来航すると、幕府は北方警備を目的に松前崇広に築城を命じました。 沼流兵学者・市川一学の縄張りにより、福山館を拡張して三の丸から本丸が津軽海峡に向け雛壇式に築かれました。 砲台を備えたり城壁の中に鉄板を仕込むなど、艦船への防御に重点を置いた造りとなっていました。 虎口から本丸までの通路は複雑で、側面から鉄砲などで射撃しやすい構造となっていました。 また、天守の壁は艦船からの砲撃に耐えられるよう、中に硬いケヤキ板を仕込んでいました。 このように海からの攻撃には万全を期していましたが、陸側の搦手の守りは手薄だったため、戊辰戦争の際にわずか数時間で攻め落とされてしまいました。 明治時代になり廃城となっても天守などの建物が残されていましたが、1949年6月5日の失火により焼失してしまいました。 現在の天守は1961年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。 |
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松前奉行所跡にある町役場 馬坂橋 馬坂 福山城の説明板 馬坂門跡 外堀 松山城の模型 天神坂門(外側) 天神坂門(内側) 三ノ丸にある台場跡 三ノ丸の様子 三ノ丸から見た二ノ丸 大手門跡 搦手二ノ門(内側) 搦手二ノ門(外側) 松山城資料館入口 チケット売場で押せます 本丸御門と天守 内堀 松前神社 寺町門跡 外堀跡 桜見本園にある土塁 外堀跡 月琴堀 本丸御殿跡 本丸の土塁 |
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