吉田郡山城
所在地:広島県安芸高田市吉田町郡山
2019年8月25日更新(最終訪問日 2019年8月7日) | |||
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◆概要◆ 1336年に毛利時親が吉田荘の地頭として赴任した時に築かれました。 14代目の毛利輝元まで毛利氏代々が居城としました。 1541年には尼子晴久の大軍に攻められ包囲されましたが、大内義隆からの援軍もあって撃退しています。 毛利元就が勢力を拡大すると共に拡張・整備し、毛利輝元の頃には石垣も使われた近代的な城郭へと変貌しました。 見張り台としての櫓が本丸に建てられましたが、天守閣は無かったと考えられています。 豊臣秀吉が天下を平定すると、山間部の吉田郡山城では広大な領地を支配するのに不都合が生じました。 そのため、1591年に平野部に広島城を築いて本拠を移し、家臣や城下の商人らも広島城へ移住しました。 |
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安芸高田市歴史民俗博物館前にある案内図 本丸周辺の案内図 |
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安芸高田市歴史民俗博物館 大通院谷公園の駐車場 駐車場脇にある薬研堀 公園からの登城口 毛利元就のお墓入口 百万一心の石碑 御蔵屋敷跡 意外と登り坂が続きます 釣井の壇 姫の丸壇 釜屋の壇 厩の壇 三の丸石塁跡 三の丸 二の丸 本丸 櫓台 本丸・二の丸 上から見た釣井の壇 上から見た御蔵屋敷跡 わずかに残る三の丸の石垣 勢溜の壇 尾崎丸入口の土塁 尾崎丸 旧本城手前にある連続堀切 この上が旧本城 旧本城 旧本城の腰曲輪 腰曲輪から見た旧本城 毛利隆元のお墓 |
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