三原城

所在地:広島県三原市城町
2018年8月14日更新(最終訪問日 2018年8月8日)

◆概要◆


1567年に小早川隆景によって築城が始められました。 小早川隆景は沼田川河口に浮かぶ小島や中州をつないで水軍の拠点としました。 最盛期は本丸の東・西・南側に二の丸、その東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた梯郭式の城でした。 さらに海に向かって船の出入り口を開き、郭を隔てる縦横の堀の重なりも加えて、満潮時には海に浮かんだように見えたため「浮城」とも呼ばれていました。 その後も整備が続けられ、小早川隆景は新高山城から三原城へと本拠を移しました。 城の後背には新高山城下から数々の寺院を移し、さらに背後の「桜山」は元々山名氏が築いた桜山城があり、詰めの城としての機能がありました。 小早川隆景は一度は筑前に移りましたが、家督を養子の小早川秀秋に譲った後に再び三原城に戻ってきました。 この時期に新高山城の石垣を昼夜を問わず運ばせており、三原城に更なる修築を重ねていきました。 三原は山と海で挟み込まれた隘路を進まざるを得ない地形で、山陽道有数の関所でした。 幕末まで広島藩の支城として使われていましたが、明治維新後、帝国海軍の鎮守府(西海鎮守府)建設のために政府が確保。 しかし、建物・樹木などは競売に付され、建築物は移築されたり、用材として処分されました。 さらに、1894年、山陽鉄道三原駅建設の際に駅用地に使用され、石垣も糸崎港建設の用材として大部分が撤去されました。
三原城 図
説明板の絵図

●続日本百名城スタンプ設置場所●


三原城 スタンプ
JR三原駅うきしろ観光案内所とみはら歴史館
開いている時間:
9時〜18時
お休み:
12月29日〜1月3日
三原城
三原駅の観光案内所
三原城
三原駅構内に残る石垣
三原城
駅の北側に突き出た天守台
三原城
北東から見た天守台
三原城
後藤門の石垣(推定復元)
三原城
北西から見た天守台
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