神辺城

所在地:広島県福山市神辺町川北
2010年8月15日(訪問日 2010年8月2日)

◆概要◆


1443年に山名氏より築かれました。 1538年に大内義隆に仕える杉原理興が城を奪い、備後の要所として改修を加えました。 杉原理興はこの頃から山名姓を名乗るようになります。 しかし、1542年に大内義隆が尼子氏の月山富田城を攻めた際、山名理興らが尼子方に寝返ったため、大内軍は大敗を喫しました。 そのため、翌年から大内義隆に攻められ、7年の攻防戦を経て山名理興は出雲へ落ち延びました。 以後は大内氏の城となりましたが、1555年に大内氏が滅ぼされると山名理興が再び城主となり、毛利元就に仕えました。 山名理興が1557年に後継ぎが無いまま没すると、毛利家臣の杉原盛重が城主となりました。 しかし、1582年に杉原家中に内紛が起こり、以後は毛利家直属の城となりました。 関ヶ原の戦で毛利輝元が敗れた後は、安芸の太守となった福島正則の筆頭家老・福原正澄が城主となりました。 1619年に福島正則が改易された後は水野勝成が城主となりましたが、新たに福山城を築いたため、神辺城は廃城となりました。 この時に建物や石垣の殆どが福山城築城の資材とされたため、城跡は曲輪や掘割などが現存するのみとなっています。 神辺城の建物では、実相寺に移築された城門と明王院に移築された書院が現存しています。
神辺城 図
神辺城
城塁
神辺城
二之丸
神辺城
本丸
神辺城
実相寺の移築門 地図
神辺城
明王院の移築書庫 地図
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