菅沼城

所在地:群馬県安中市郷原
2017年9月24日(訪問日 2014年5月17日)

◆概要◆


菅沼城は文禄年間(1592〜96年の間)に菅沼定清により築かれました。 菅沼定清は記録に登場しない謎の人物とされ、あちこちで「菅沼定盈の一族の誰か」と書かれています。 城跡には海雲寺があり、招き猫の寺として有名です。 この招き猫はお寺の住職つながりで、豪徳寺から伝わったものだそうです。 ・・・豪徳寺と言えば井伊直政。 豪徳寺が招き猫のお寺になったのは、井伊直政の子・井伊直孝に由来します。 ということは、謎の人物とされる城主・菅沼定清は、井伊直政と深いつながりがあったと考えるのが自然だと思います。 菅沼定清の通称は「治郎右衛門」で、長篠菅沼家が代々名乗っていたそうです。 その長篠菅沼家は、武田信玄が三河に侵攻した際に家中の派閥争いに敗れ、当主と嫡男が帰農したとされます。 しかし、私が注目したのは井伊谷三人衆に名を連ねる菅沼氏です。 この家系は長篠菅沼家の庶流で、しかも代々「次郎右衛門」を名乗っていました。 1590年代の「菅沼次郎右衛門」は菅沼忠道で、井伊直政に従って箕輪に移り、家老として高崎城下の開発に尽力した人物だそうです。 菅沼忠道は関ヶ原の戦でも活躍しましたが、井伊直政の後を追うように1603年に没しました。 そして、謎の人物・菅沼定清も、関ケ原の戦以降の消息がわからないそうです。 色々と重なり合う所が多く、私はもしかしたら!なんて思います。
菅沼城
城跡にある海雲寺
菅沼城
山門脇がすでにそれっぽい地形です
菅沼城
塀の内側は堀跡のようです
菅沼城
堀跡のすぐ脇に土の壁が
菅沼城
裏に回ると土塁でした
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