沼田城
所在地:群馬県沼田市西倉内町
2018年4月30日更新(訪問日 2017年4月15日) | |||
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◆概要◆ 利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に築かれていました。 二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でした。 幾つかの守護城に囲まれていたため、その守りはとても堅固でした。 また、沼田は北関東の要衝でもあり、重要拠点として越後の上杉氏、関東の後北条氏、そして真田氏の間で争奪戦の的となりました。 戦国時代には後北条氏家臣の城代・猪俣邦憲が、3kmほど北にある真田氏の名胡桃城を攻め落としたことが惣無事令に反したとして、豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼす原因となりました。 後北条氏の滅亡後は真田信幸が城主となり、5重の天守を築くなど大規模な改修を加えました。 しかし、5代目・真田信利の代に沼田真田家は改易となり、廃城となりました。 1703年に本多正永が入城して沼田藩が再興されましたが、城内に陣屋程度のものが建てられただけでした。 |
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沼田公園案内図 |
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二の丸(野球場) 本丸堀の跡 本丸 西櫓台の石垣 西櫓台の石垣 西櫓台の石垣 古城 天守のイラスト 北側に残る土塁 真田信之と小松姫像 真田信之と小松姫(戦国無双) 真田幸村(戦国無双) |
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