名山城
所在地:群馬県安中市郷原
2017年9月24日更新(訪問日 2014年5月17日) | |
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◆概要◆ 名山城は安中氏の城と考えられており、松井田城と安中城の間の街道付近にありました。 ・・・とはいえ、ハッキリしたことはわかっていません。 城跡は目印の山頂を腰曲輪が囲み、南側の細長い尾根も曲輪だったようです。 |
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@西側から見た所 A土の山から南側へ B堀切 |
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登城当時はザックリした位置しかわからなかったので、何となくそれっぽい所を目指しました。
辿り着いたのは西側の細い道で、目印を付けた山に取り付けそうな場所が@の写真の場所でした。
「もしかして、やられちゃった?」なんて思いましたが、とりあえず登ってみました。
当時(2014年5月)は「これから公園になるのかな?」と思っていましたが、現在(2017年9月)にGoogle Mapの航空写真を見ると、ビッシリとソーラーパネルが並んでいました。
土の山に登り切ってみると、城跡として整備している感じではありませんでした。
それでも南側にもっと高いピークがあり、そちらへと続く太い土橋(一般的には稜線とか尾根というのでしょうか?)が続いていました。(写真A)
何となく吸い寄せられてそちらへ進むと、Bの窪みがありました。
こちら側は重機で削られた跡が無かったので、遺構であると確信しました。
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CBの堀切を横から D腰曲輪 E主郭 |
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堀切と言えば、この角度です。(写真C)
そこから足跡に従ってよじ登ると、踊り場のような平場に出ました。
どうやら腰曲輪のようです。(写真D)
足跡は更に高い所へ続いており、追いかけていくとかなり広い場所に出ました。(写真E)
状況的に、ここが主郭のようです。
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F主郭を囲む土塁 G上から見た堀切 H本当の登城口 |
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主郭は高さ1メートル程の低い土塁で囲まれています。(写真F)
目的は果たしたと元のルートを下る途中、最初に見た堀切を上から撮りました。(写真G)
そこで何やらピンク色の目印が見え・・・、どうやら道があったようです。
そのまま辿って行くと、土の山の南側に出ました。(写真H)
ちゃんとした登城口はこちらですが、諸兄が掲載している城跡の案内は見当たりませんでした。
私が登城した後の日付で訪ねた方もその案内を載せているので、見落としただけだと思いますが・・・(汗)
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