前橋城

所在地:群馬県前橋市大手町
2017年4月30日(訪問日:2011年4月29日)

◆概要◆


室町時代初期に足利直義に仕えた総社長尾氏の祖・長尾忠房が築いた石倉城がルーツと考えられています。 1534年に利根川の氾濫により石倉城が崩壊し、残った三郭を中心に長野方業が再構築したものが、厩橋城と呼ばれるようになりました。 戦国時代には上杉謙信と北条氏政が争奪戦を繰り返し、後に武田勝頼も参戦するようになりました。 1582年に武田勝頼が滅びた後は北条氏政、1590年に北条氏政が滅びた後は徳川家康の城となりました。 江戸時代の1767年に再び利根川の氾濫により城が大破し、復旧されないまま廃城となりました。 その後、江戸時代末期に前橋城として再構築された直後に大政奉還が行われ、城跡に県庁が置かれて現在に至ります。 県庁前から県警本部に向かうと馬の埴輪像があり、そのすぐそばに「再築前橋城復元図」があります。 土塁はここから始まり、歩道橋のある交差点を左折してぐるっと県庁の裏側にまで達します。 高さは5メートル程あり、かなり立派な土塁です。 また、県庁正面の道を500m程歩くと、車橋門跡があります。 ここには石垣も現存しています。 都市計画により多少位置は移動させられたようですが、昔ここに立派なお城があったんだと往時を偲ぶことができました。 城跡に県庁が建てられたのでかなり遺構は破壊されていますが、所々に土塁や石垣などが残されています。
前橋城 図
前橋城復元図
前橋城
群馬県庁周辺が城跡です
前橋城
県庁前の道沿いにある土塁
前橋城
県庁の北側の交差点付近
前橋城
城址碑
前橋城
県庁裏の土塁
前橋城
駐車場は土塁に囲まれています
前橋城
虎姫観音堂の所にある天守の図
前橋城
車橋門跡の入口
前橋城
車橋門の石垣
前橋城
幅は狭められています
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