金山城
所在地:群馬県太田市金山町
2017年4月16日更新(訪問日 2017年4月15日) | |||
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◆概要◆ 1469年に新田氏の子孫である岩松家純により築かれましたが、後に岩松家の重臣・横瀬氏(のちの由良氏に改姓)が、下克上により城主となりました。 周辺に勢力を持つ上杉氏、武田氏、北条氏、佐竹氏らに攻められましたが、一度も落城したことがありません。 そのため関東七名城の一つとされます。 1584年、後北条氏の計略により小田原城を訪れた由良国繁と弟の長尾顕長(館林城主)が捕えられ、金山城の開城を条件に開放されました。 その後、1590年に後北条氏が滅亡すると、後北条氏に従っていた由良氏も領地を失い金山城も廃城となりました。 江戸時代には金山「御林」として幕府直轄地となり、結果として城の遺構が良好な状態で保存されました。 現在は、本丸跡に新田神社があります。 |
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全体図 |
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大手虎口の石垣 |
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県道の終点にある駐車場 大手前塹壕 大手前塹壕の堀 見附出丸 駐車場のすぐ脇にある西城筋違城門 見附塹壕に残る石垣 入口(図の左端の赤丸の所) 西矢倉台西塹壕 桟道(通れません) 西矢倉下堀切 物見台と物見台下虎口 物見台下堀切 馬場下通路 馬場下通路の所にある竪堀 行き止まり(これもお城の仕掛けです) 馬場通路 物見台 物見台から見た虎口 馬場曲輪 大堀切 月ノ池 大手虎口 大手塹壕 日ノ池と南曲輪 武器庫、正面土塁と石垣 御台所曲輪 大ケヤキ 本丸 城址碑 本丸からの眺め |
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西城と本丸の間の図 本丸周辺の図 |
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