岩松館

所在地:群馬県太田市岩松町
2017年7月30日更新(訪問日:2014年6月1日)

◆概要◆


岩松館は平安時代に源義国の居館として築かれたのが始まりとされます。 源義国は源義家の四男で、上野国八幡荘を継承し、新田荘や足利荘を開墾しました。 子は嫡男が新田義重、次男が足利義康となり両家の祖とされます。 足利義康は若くして戦死したため、その子・足利義兼は新田義重の支援を受けていました。 また、その子・足利義純は新田義重に養育され、新田義兼の娘(新田義重の孫)を娶りました。 この2人の間に生まれたのが、時兼です。 足利義純は後に畠山重忠の未亡人(北条時政の娘)を娶って畠山氏の名跡を継ぐことになり、新田義兼の娘とは義絶することとなりました。 この時に足利義純は新田氏由来の領地を先妻(新田義兼の娘)に譲り、子の時兼が継承しました。 その領地が新田荘の中の岩松という場所だったため、時兼は岩松姓を名乗るようになりました。 岩松氏は新田氏と距離をおくことで南北朝時代を乗り切りましたが、戦国時代に重臣の横瀬氏により傀儡とされました。 岩松尚純はこの地に閑居し、風流を楽しんだとされます。 江戸時代になると居館跡に青蓮寺が移され、現在に至ります。
岩松館
青蓮寺の山門
岩松館
本堂
岩松館
説明板
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