石倉城

所在地:群馬県前橋市石倉町
2017年7月29日更新(訪問日:2014年5月31日)

◆概要◆


石倉城は長尾憲景により1485年に築かれたとされます。 長尾憲景はすぐ北にある総社城を本拠とする総社長尾氏の出身で、1527年に白井長尾氏の家督を継いだ人物です。 1534年に利根川の流路が変わる程の氾濫があり、城の東半分が流失して廃城となりました。 利根川東岸に残った石倉城の三の丸をベースに築かれたのが厩橋城です。 1563年、武田信玄が上野国へ侵攻し、総社長尾氏は越後へ逃れました。 武田信玄は石倉城を再築城し、曽根七郎兵衛、興左衛門兄弟を城代としました。 1565年には上杉謙信に攻略され、荒井甚六郎を城代としています。 しかし、翌年再び武田信玄が奪い返し、内藤政豊・外記親子に守らせています。 1582年に武田勝頼が滅ぼされ、直後に本能寺の変で上野国が空白地帯となると後北条氏が侵攻し、寺尾左馬助が守将となりました。 その後北条氏も1590年に豊臣秀吉により討伐され、この際に依田信蕃の子に攻め落とされ廃城となりました。
石倉城 図
現状の図と鳥観図を並べると、いかに利根川に浸食されたのかがわかります
石倉城
城跡は公園となっています
石倉城
名前は石倉城二の丸公園です
石倉城
城址碑と説明板があります
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