榎下城

所在地:群馬県安中市原市
2017年9月24日(訪問日:2014年5月17日)

◆概要◆


1487年に越後からやって来た安中忠親の子・安中忠清が1525年に築いたとされます。 現在も城跡にある久昌寺は、この時に開基されたと伝わります。 安中忠清は安中忠親の弟と紹介される事もありますが、安中忠親は1506年に93歳で没しています。 その「弟」がその42年後に城を築いたとすると、一体何歳なんだ?となるので、私は子だと思います。 安中忠清は榎下城で没し、跡を継いだ子の安中忠政が1559年、安中城を築きました。 安中忠政自信は武田信玄の侵攻が続く松井田城へ入り、子の安中忠成が安中城へ入りました。 榎下城はこの時に廃城になったものと思われます。 武田信玄の侵攻は激しさを増し、1564年に安中忠成が武田信玄に降伏しました。 父の安中忠政は松井田城で激しく抵抗を続け、二郭まで攻め落とされた所で降伏しました。 その後、安中忠成は武田家臣となり、1575年の長篠の戦で全滅してしまいました。 領主としての安中氏は滅びましたが、羽後へ移った一族がおり、安中氏自体は続いています。
榎下城
久昌寺の入口
榎下城
お寺の前から左の道を進み左側を見た所
榎下城
お寺側には土塁があります
榎下城
二重の土塁(道側から)
榎下城
外側の土塁
榎下城
二重の土塁(寺側から)
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