江田館

所在地:群馬県太田市新田上江田町
2017年9月18日(訪問日:2014年6月1日)

◆概要◆


江田館は鎌倉時代末から南北朝時代に活躍した江田行義の館でした。 江田氏は新田氏庶流・世良田氏のさらに庶流ですが、南朝方の雄・新田義貞のもとで大活躍し、建武政権では武者所の三番頭人となりました。 足利尊氏が勢力を盛り返し湊川の戦に敗れると新田義貞とは別行動をとるようになり、丹波国高山寺城に立て籠もりました。 高山寺城が北朝軍により陥落した後の動向は不明ですが、現地の説明板では備後国で守下姓に改めて帰農し、子孫が1593年頃この地に帰って来たと書かれています。 江田館はその後も使われており、戦国時代には金山城の支城として城郭化されました。 単郭方形館のように見えますが、発掘調査の結果、南から東にかけて"」"字型に2郭が存在していたことがわかっています。 城主は由良四天王の一人・矢内四郎左衛門ですが、1584年に後北条氏が金山城を攻めた際に攻略され、金山城攻めの拠点となりました。 その後、1590年に後北条氏が滅びると、江田館も城郭としての使命を終えました。 江田館は曲輪と土塁・堀がほぼ原形を留める貴重な遺構で、2000年に新田荘遺跡の一部として国の史跡に指定されました。
江田館 図
説明板の復元予想図
江田館
入口の前に車を停められます
江田館
すぐに堀が見えます
江田館
入口の左側の堀
江田館
単郭方形で土塁に囲まれています
江田館
西側の堀は途中で折れています
江田館
義貞様の石宮
江田館
東側の堀も途中で折れています
江田館
北側の堀
江田館
西側の堀
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